あなたは、女子プロレスの選手と言えば誰か名前が思い浮かびますか?この記事では、昭和から平成の長きにわたり活躍したデビル雅美選手を紹介します。デビル雅美選手は、31年間という女子プロレス界でも最長と言われるキャリアを誇る選手です。引退後は表舞台からは去り、漬物店で働いていました。
この記事を読むと、デビル雅美選手のプロレスラーとしての活躍と、キャリアを終えてからの歩みを知ることができます。デビル雅美選手のプロレスを愛し観客を楽しませる姿勢は、まさにトップレスラーそのものでした。多くの女子プロレスラーが、引退後もプロレス界に残る中、漬物店で働いていた姿も気になるところです。
デビル雅美選手のプロレスラーとしての経歴
全日本女子プロレス時代
デビル雅美選手は、本名は吉田雅美さんと言います。高校を1年で中退し、1978年に全日本女子プロレスに入団、デビューしました。168cmの恵まれた体格でヒール(悪役)軍団である「ブラックデビル」の一員として大暴れの活躍を見せます。その後「ブラックデビル」は「デビル軍団」と名前を変え、デビル雅美選手はリーダーになるのです。
デビル雅美選手はリングでは大人気のヒール(悪役)レスラーとして活躍し、リング外では後輩に恐れられる先輩レスラーでした。後輩のダンプ松本選手や長与千種選手は、今でもデビル雅美選手のことを恐れている発言を冗談半分ながらも口にしています。デビル雅美選手は、1987年に全日本女子プロレスを定年で退団します。
全日本女子プロレスには、何と選手に25歳定年制があったのです。
フリーランス時代(ジャパン女子プロレス)
デビル雅美選手は、全日本女子プロレスを退団後、活躍の舞台をジャパン女子プロレスに変えました。
ジャパン女子プロレスは、全日本女子プロレスと比べてプロレス団体運営のノウハウが無く、コーチも男子プロレスから呼んでいました。全日本女子プロレスで長年キャリアを積んでいたデビル雅美は、試合での活躍はもちろん、所属選手の練習でもコーチ代わりとして活躍したのです。
試合では、ジャパン女子プロレスのトップレスラーである、柔道出身の神取しのぶ(後の神取忍)と名勝負を繰り広げ、固定ファンを獲得しました。神取選手は柔道で世界大会にも出た実力の持ち主で、生半可な相手では力を出し切れなかったのですが、実績も実力もあるデビル雅美選手とは試合が成立したのです。
ジャパン女子プロレスは弱小団体でしたが、デビル雅美選手が支えました。
JWP時代
ジャパン女子プロレスは、1991年に経営難や選手会の反発などの理由で解散します。このごたごたを機に、デビル雅美選手は一度引退の意向を示します。しかし、ジャパン女子プロレスの後を継ぐ団体であるJWPの所属選手として1992年に再スタートを切るのです。JWPでは、若手レスラーやアイドルレスラーに立ちはだかる壁として活躍しました。
キャリアを積むにつれ、デビル雅美選手は全日本女子プロレス時代のヒールとしての色は薄れていました。しかし、JWP時代に経営陣からの要請を受けて「スーパーヒールデビル雅美」というキャラクターが誕生しています。真っ黒な衣装や顔のペイントなどが特徴で、有力選手を次々と破る活躍を見せました。
JWP時代のデビル雅美選手は登竜門に立ちはだかる門番のような存在でした。
フリーランス時代
デビル雅美選手は、2000年にJWPを退団後、フリーランスとして活躍していました。様々な団体のリングに上がる中、主戦場にしていたのはGAEA JAPAN(ガイアジャパン)、Ozアカデミー、センダイガールズプロレスリングという3つの団体です。どの団体でも、JWP同様に若手に立ちはだかる役割を担っていました。
特にセンダイガールズプロレスリングでは、団体の立ち上げから関り、選手の指導も行っていました。そのため、団体の選手のみならず、ファンからも信頼を得ます。その後、デビル雅美選手は2008年にプロレス界から引退します。31年弱の長きに渡る選手生活に幕を下ろしたのです。
引退を発表してからは、後輩選手たちに自分の技を継承しました。
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デビル雅美選手は漬物屋の店主をしていた
漬物屋の店長
デビル雅美選手は、プロレスを引退後、故郷の北九州市小倉へ戻りました。本人曰く、故郷に戻ってからはスーパーマーケットの従業員として夜間勤務に当たっていたそうです。そこで漬物処「糠蔵(ぬかぐら)」の社長から「丈夫で力持ちで料理が好きな人を探している」とスカウトがあり、2011年に糠蔵に就職します。
糠蔵では、小倉城の横にある店舗で店長として働いていました。毎朝、糠をかき混ぜ糠漬けを仕込むのは大変です。しかし、デビル雅美選手は「プロレスで鍛えた体力」を活かし精力的に働いていたようです。
その後、小倉の糠蔵は閉店しました。デビル雅美さんは、現在裏方として漬物を作る仕事をしているそうです。
2023年9月にOzアカデミーの福岡興行に来場していました!
さいごに
デビル雅美選手は、昭和から平成にかけての女子プロレスファンにとってはとても大きな存在です。各主要団体を渡り歩き、トップで居続けた規格外のレスラーと言えます。また、名前が怖いですが、優しさを感じさせる笑顔も印象的です。
デビル選手は、人気、実力を維持したまま30年を超えるキャリアを誇った、まさに伝説のプロレスラーと言えるでしょう。
現在は漬物を作る仕事をされているので、表舞台に上がることはほぼないと考えられますが、デビル雅美選手の名前はプロレス界に輝き続けています。
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