雑学のあしあと
『今すぐ誰かに教えたくなる豆知識』がコンセプトの雑学サイトです。
グルメ・料理 PR

ケンタッキーフライドチキンの歴史と由来をご紹介!「カーネル」は本名では無かった!

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

みなさん、ケンタッキーのチキンはお好きですか?フライドチキンが美味しいのはもちろんですが、サイドメニューの「ビスケット」も美味しくておすすめです。サクサクふわふわのビスケットに、メープルシロップをかけて食べるのですが、とっても美味しいです。

また、ケンタッキーと言えば、ハーブやスパイスの配合を知っているのは世界でたった3人しかいないということ。フライドチキンの味は11種類のハーブとスパイスで作られています。レシピは、金庫に入れて保管されているのです。

今日はカーネル・サンダースがフライドチキンを作ったきっかけや、名前の由来、カーネル・サンダース像の秘密などをご紹介していきたいと思います。

カーネル・サンダースについて

ケンタッキーのおじさんと言えば、カーネル・サンダースですよね。名前の「カーネル」は、実は本名ではありません。この「カーネル」という名前は、ケンタッキー州の食文化に大きく貢献したため、アメリカ合衆国のケンタッキー州から与えられた称号です。本名は、「ハーランド・デーヴィッド・サンダース」と言います。

みき

本名ではないのです!

カーネル像について

メガネは度入りの老眼鏡で、身長は約180㎝あります。腕を曲げているのは、バーレルと呼ばれるチキンを入れる箱を持つためです。カーネル像は26㎏ありますが、実際のカーネルさんの体重は約90㎏あります。

また、日本のケンタッキー創業者がカナダのケンタッキーに訪れた際に、倉庫でカーネル像を発見。当時の日本では、赤と白の店舗はまだまだなじみが無く、電気屋さんや床屋さんに間違われていました。

このカーネル像を置くことでケンタッキーの宣伝になるのでは?というアイディアから、カナダより像を持ち帰り店頭に置くことになりました。像を置くのは、日本発のアイディアだったのです。また、立っている像だけでなく、2018年からはベンチに座るカーネル像が登場しています。

みき

像のメガネは取れないように、固定されています。

ケンタッキーフライドチキンの名前の由来

アメリカのケンタッキー州から名付けられました。カーネルは、ケンタッキー州のコービンでサンダースカフェを経営していました。このカフェはガソリンスタンドに併設されていて、ケンタッキーフライドチキンの原点ともなりました。

ケンタッキーフライドチキンの歴史

ここからはカーネルの生い立ちなど、歴史をご紹介していきます。

1890年

アメリカ合衆国のインディアナ州の南にあるヘンリービルで産まれます。カーネルが幼い頃に父親を亡くしたため、貧しい生活を送っていました。母親は家計を支えるため、工場で働いていました。

1897年

7歳の時に、ケンタッキーの原点となる体験をします。それは、初めて1人で焼いたパンがとても喜ばれたこと。弟と妹を連れて5㎞離れた、母親が働く工場までパンを届けに行きました。工場では、母親はもちろん、工場で働く人たちにもとても喜ばれました。「料理で人を幸せにできる」ことを実感したのです。

1900年

カーネルは家計を助けるため、10歳の若さで仕事を始めました。しかし、仕事に身が入らずクビに…。その時の母親からの、「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」という一言を大事にしていて、生涯忘れることはありませんでした。カーネルはその後も、ペンキ塗り、軍隊、鉄道員、弁護士の助手、保険の営業などいろんな仕事をしていきました。29歳の時に設立した、蒸気船運航会社の経営はうまくいかず破産してしまいます。

1930年

求職中だった時に石油会社のマネージャーと出会います。そこで、ガソリンスタンドのオーナーを任されることになります。他のガソリンスタンドと違い、営業時間は2時間も早い5時から営業を始め、車のフロントガラスを拭く、タイヤのチェックをするなど差別化を図りました。

このガソリンスタンドは、世界恐慌のため手放すことになります。ですが、カーネルの働きぶりを知る、他のガソリンスタンドから声がかかり、別のガソリンスタンドで働くことになります。

このガソリンスタンドの近くにはレストランなどは無く、ガソリンスタンドにやってくる人たちはいつも空腹でした。そこで、カーネルは倉庫を改造して、カフェを開くことにします。この時、カーネルは40歳でした。

1940年

カーネルのカフェは大人気で、カフェからレストランへと規模が大きく変わりました。人気のメニューは「フライドチキン」。美味しいフライドチキンを作るため、レシピの研究をしていました。スパイスやハーブの調合をしたり、当時では新製品だった圧力鍋を使ったり…。10年もの月日をかけて、レシピが出来上がりました。

1955年

絶好調だったカーネルでしたが、高速道路が移転し、お客さんがいなくなってしまいます。仕方なく、レストランを手放すことにしました。カーネルはこの時、のちに親友となるレストランを経営するピート・ハーマンという人物と出会います。

ピートの自宅に招かれ、カーネルはフライドチキンを作りました。フライドチキンの美味しさに感動したピートは、レストランのメニューに加えよう!と提案します。ピートが喜んでくれたことで、フライドチキンで人を幸せにできると実感しました。

そして、アメリカのレストランにレシピを販売することを思いつきます。車にスパイスを乗せ、車中泊しながらレストランを回りました。なかなかうまくいかず、1010回目の商談で契約を取ることが出来ました。この時、アメリカ南部のおもてなし料理を意味する、「ケンタッキーフライドチキン」と名付けたのです。

1963年

車での移動が多くなり、持ち帰りをする人も増え、ケンタッキーフライドチキンの人気は大ブームに!1955年にケンタッキーフライドチキンコーポレーションを設立したあと、フランチャイズ契約が激増。たった8年の間に600店舗まで広がりました。

1964年にカーネルは経営を譲り、90歳で亡くなるまで親善大使をしていました。今では145の国と地域に24,000店舗で、美味しいフライドチキンを販売しています。

まとめ

みなさんケンタッキーフライドチキンについては、いかがでしたか?10歳から働き、会社を転々とした過去がありました。初めてパンを作り、みんなに喜ばれた経験から料理で人を喜ばせることができる!と実感しました。

ガソリンスタンドのカフェでフライドチキンを提供していなかったら、ピートにフライドチキンを振る舞っていなかったら、今のケンタッキーフライドチキンは無かったのかもしれません。

ABOUT ME
アバター画像
みき
趣味は毎週の競馬と月1の乗馬(外乗)。女性ならではの視点からユニークな雑学を多数執筆。