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プロレスのおもしろ名言を特集!プロレス史に輝くレスラー達の叫び!

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あなたはプロレスを会場やテレビで観たことがありますか?テレビ番組でプロレスが特集されたりするので、多少は知っている方もいるのではないでしょうか?この記事では、長きにわたるプロレス界の歴史に輝く「おもしろ名言」を紹介します。

プロレスでは、マイクパフォーマンス・記者会見・試合後のコメントなどレスラーが言葉を発するのが見どころの一つです。中でも「言っている意味がよくわからない」「それを言ったらおしまいだ」と思わされるような言葉を紹介します。

レスラーの人柄や背景が見える、おもしろ名言の数々を楽しんでください。

プロレス界の歴史を動かしたおもしろ名言

ゴチャゴチャ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや:前田日明(まえだあきら)

1987年6月12日両国国技館での新日本プロレス(当時)前田日明の発言です。上の世代であるアントニオ猪木や坂口征二らに対抗しようと、長州力から呼びかけられた時に言い放ちました。世代闘争なんてせず「誰が一番強いか」決めればよいと個人闘争を吹っ掛け、流れを台無しにしてしまったのです。

時は来た!それだけだ:橋本真也

1990年2月10日新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベントはアントニオ猪木、坂口征二vs橋本真也、蝶野正洋の世代闘争でした。試合前インタビューで橋本真也が真剣な表情で堂々と掲題の言葉を口にしました。

蝶野は橋本の真剣な姿に思わず吹き出してしまい横を向いて笑いをこらえるという悲惨な状況がテレビ中継で放映されたのです。

はち

とてもかっこいい言葉ですが、かっこよすぎるが故に蝶野がツボにはまったと思われます。

まあ、それぞれの想いがあるからさておいて:アントニオ猪木

2002年2月1日の新日本プロレス札幌大会で起きた一幕は「猪木問答」と呼ばれ、現在もプロレスファンの間で語り継がれています。全試合終了後、新日本プロレスの会長(当時)
であるアントニオ猪木が久々にリングに上がりました。猪木はひと通り選手の熱い思いを聞いた後、猪木は掲題(けいだい)の言葉で雑に締めくくってしまいました。

猪木に想いを受け止めてもらえず困惑する選手と、自分で聞いておいて跳ねのけた猪木のやり取りにファンはざわつきました。猪木の真意はいまだ明らかになっていません。

はち

猪木は「てめえらのことはてめえらで何とかしろ、俺に言うな」とも言っていました。

お前ら、私のことがもっと見たいか!:北斗晶

1994年11月20年全日本女子プロレス東京ドーム大会でのマイクパフォーマンスです。この大会は“デンジャラスクイーン”北斗晶の引退興行でした。全試合終了後、引退する北斗はマイクを持ちます。そして、掲題の一言と併せて「来年、もし東京ドームがあるなら私は帰ってくる!」と条件付きで引退を撤回してしまいました。

北斗晶の最後を観に来た観客は歓声と戸惑いの両方でどよめきました。

はち

その後東京ドーム大会はありませんでしたが、北斗は現役復帰し2002年まで活躍しました。

真意が伝わりにくかったおもしろ名言

リヴァプールの風になった:獣神ライガー

かつて、新日本プロレスに山田恵一という選手がいました。山田は、1989年1月に遠征先であるイギリス・リヴァプールで突如消息を絶ちます。その後まもなくして、新日本プロレスで獣神ライガー(後の獣神サンダーライガー)という覆面レスラーがデビューしました。

体格が山田に似ているライガーは、雑誌のインタビューで山田の消息について訊かれると「山田は死んだ。リヴァプールの風になった。」と言い放ちました。

山田恵一はどこに行ったのでしょうか?

はち

獣神ライガーは漫画のキャラクターなので、出身は漫画原作者の「永井豪』宅です。

みなさん、こんなしょっぱい試合ですみません:平田淳嗣(ひらたじゅんじ)

新日本プロレスにはスーパー・ストロング・マシーン(以下マシーン)というマスクマンがいました。1994年10月にマシーンは蝶野正洋とのタッグでリーグ戦に出場します。しかし、蝶野との仲は険悪で、決勝戦で決裂。マシーンはマスクを脱いで蝶野に叩きつけ、蝶野は試合中にリングを去るのです。

素顔のマシーンは孤軍奮闘し、観客も本名である平田コールで大声援を送りますが惜しくも敗れます。マイクを握った平田は「しょっぱい」という言葉を口にし、涙ながらに観客に謝罪しました。今でこそ「しょっぱい」は「情けない」という意味で通じますが、公に口にしたのは平田が初めてだと言われています。

はち

しょっぱいとは相撲の隠語で、敗者が土俵に突っ伏して塩を舐めることが由来です。

1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍:小島聡

1999年3月5日新日本プロレス後楽園ホール大会で、天山広吉とのタッグで活躍する小島が放った一言です。この一言がプロレス雑誌に掲載されると、どうやっても計算が合わないことにプロレスファンがざわつきました。

はち

この計算式の謎は現在も解けていません。

なにコラ!タココラ!:長州力・橋本真也

前出の猪木問答と並ぶプロレス界の問答がコラコラ問答(タココラ問答とも)です。2003年11月18日プロレス団体ZERO-ONE(ゼロワン)の道場での出来事です。当時ゼロワンを率いていた橋本真也は、マスコミを使って長州力を批判していました。すると、長州がゼロワン道場に乗り込み、橋本と言い合いを繰り広げます。

長州「なにがやりたいんだコラ!紙面を飾ってコラ!」
橋本「なにがコラじゃコラ!バカ野郎」
・・・
といった互いのコラの連発と、長州の絶妙な活舌の悪さが話題を呼びました。

はち

長州は大仁田厚への「またぐなよ」でも有名です。

スタイナーズは日本人離れしていますね:マサ齋藤

新日本プロレスのテレビ中継で長年解説をしていたマサ齋藤の一言です。当時、新日本プロレスを席巻していたアメリカ人の兄弟タッグであるスタイナーブラザースを評しての一言です。

はち

「日本人離れしていて当然じゃないか」と言うのは野暮ですね。

朱里さんの金魚のフンになりたいです!:鹿島沙希

女子プロレス団体スターダムの鹿島沙希が、レスラー朱里に守ってもらことを願って放った一言です。強い選手の取り巻きを批判して「○○の金魚のフンのくせに」ということはプロレス界でもよくありますが、自発的に金魚のフンになったのは鹿島が最初ではないでしょうか?

はち

鹿島はその後、朱里のユニットに加入して活躍しています!

さいごに

プロレスの魅力の1つは、レスラー達のマイクパフォーマンスなどで伝えられるメッセージです。死力を尽くして戦うレスラーが発する言葉は胸を打ちます。一方で、聞いた観客やプロレスファンがついていけず、脳裏に「?」が浮かんでしまうメッセージもあります。

そんなところも含めて「何が起こるのか分からない」のがプロレスの面白さです。興味があれば動画や興行でプロレスに触れてみてくださいね。

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はち
趣味は音楽鑑賞、新聞に掲載されているパズルを解くこと。身近なものから専門的な雑学まで幅広く執筆。