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田臥勇太の凄さを紹介!まさに日本バスケットボール界のパイオニア!

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あなたは、田臥勇太(たぶせ ゆうた)というバスケットボール選手を知っていますか?また、田臥勇太選手がどれだけ凄い選手か知っていますか?この記事では、田臥勇太選手(以下、田臥選手)のバスケットボール選手としての凄さを、プレースタイルと経歴に基づいて紹介します。

田臥選手の名前は聞いたことがあるけれど詳しく知らない人、田臥選手を全く知らない人でも、記事を読めば凄さが分かります。田臥選手は、高校時代に全国区で大活躍したことや、日本人初のNBA※1プレーヤーとなったことで有名です。田臥選手は、その才能から「日本のマイケル・ジョーダン※2」とも呼ばれていました。

※1バスケットボール界の世界最高峰を担うアメリカのプロリーグ
※2「バスケットボールの神様」と呼ばれるNBAのスーパースター

ぜひ、日本バスケットボール界のパイオニアである田臥選手の凄さを感じ取ってください。

田臥勇太の凄さ:どんな選手?

田臥選手は、神奈川県横浜市出身で1980年10月5日生まれです。2023年現在は日本のプロリーグであるBリーグでプレーする選手です。ポジションはポイントガードで、チームの司令塔を務めます。中学生のころから頭角を現し、中学3年生時には全国大会で3位に入り、大会優秀選手であるベスト5に選ばれました。

その後も順調にキャリアを積み上げ、高校・海外留学・実業団リーグを経て、2003年にNBAに挑戦するために渡米します。当時は、日本人NBA選手はおらず「田臥は通用するのか?」という懐疑的な意見もありました。しかし、田臥選手は挑戦を続け、2004年に晴れてフェニックス・サンズというNBAチームの開幕選手に選ばれました。

田臥選手は、NBAへの挑戦を終えた後も、日本のプロリーグでプレーを続けています。

はち

日本人NBA選手の草分けが田臥選手です!

田臥勇太の凄さ:プレースタイル

オフェンス

田臥選手のオフェンスの特徴は、鋭く素早いドリブルによるカットイン※3が挙げられます。田臥選手は身長が173cmで、バスケットボール選手としては小柄です。しかし、ドリブルで相手をスパッと抜き去って得点につなげます。また、遠距離からの正確な3ポイントシュートや、相手の裏をかくパスワークも得意です。

※3相手ゴール下に入り込むこと

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カットインと思いきや、3ポイントシュートを打つなど多彩な攻撃が魅力です!

ディフェンス

田臥選手のディフェンスと言えば、相手のパスをカットしてボールを奪うスティールが挙げられます。スティールして一気に攻め上がって得点を奪ってしまうのです。田臥選手は相手の攻め方を分析し、パスを読む力に長けています。相手チームは、田臥選手の存在を無視できず、攻めあぐねるのです。

はち

田臥選手は視野が広く、コート全体を見渡してプレーができる選手です!

田臥勇太の凄さ:経歴

高校時代

田臥選手は、中学卒業後に秋田県立能代工業高等学校に入学します。能代工業では、入学後1年生からレギュラーを任さます。そして、インターハイ(高校総体)・国体・全国高校選抜という高校バスケ3大大会をなんと3年連続で全て制覇してしまうのです。

伝説の高校9冠の達成により、田臥選手の知名度は能代工業とともに全国区になりました。今まで無かったテレビ中継がついたり、会場の動員数が増えたり、能代工業の田臥勇太は注目の的となるのでした。

はち

能代工業は、漫画SLAM DUNKに登場する山王工業のモデルと言われています。

大学留学・実業団時代

田臥選手は、高校卒業後、2000年にブリガムヤング大学ハワイ校へ留学します。2001年には全試合に先発出場し、MVPに選ばれる試合もありました。大学を中退し帰国すると、2002年にトヨタ自動車アルバルクに入団し、さっそく大活躍します。田臥選手は、持ち前のパスワークで63アシストを生み出し、自身も113得点と好成績を残すのでした。

アメリカ時代

2003年から、田臥選手のNBAへの挑戦が始まります。5月にNBAダラス・マーヴェリックの予備リーグに参加し、同年9月にNBAデンバー・ナゲッツと契約します。しかし、開幕メンバーに選ばれず解雇。

11 月にはアメリカ独立リーグのロングビーチ・ジャムでプレーし、見事優勝します。その活躍を買われ、2004年9月にフェニックス・サンズと契約します。

2004年11月、田臥選手はサンズの開幕メンバーについに選出されたのです。日本人初のNBA選手が誕生した瞬間です。このニュースは日本でも大きく報道され、話題を呼びました。しかし、開幕戦を含む4試合で7得点3アシストの成績を残したあと、残念ながら解雇されます。

2005年以降、田臥選手は独立リーグやNBAの下部リーグで活躍を続け、NBA入りを目指します。しかし、NBAのメンバーに入ることは叶いませんでした。

はち

チャレンジを続け、とうとうNBAの扉を開けましたね!

帰国後

2008年、田臥選手はJBL(日本バスケットボールリーグ)のリンク栃木ブレックスに入団します。すぐにアシスト王・スティール王に輝く活躍を見せます。その後、再度NBAを目指しますが結果を残せませんでした。以降は日本でプレーを続け、2010年にはJBLで優勝し、プレーオフMVP・年間ベスト5になりました。

2023年現在は、40歳を超えてなおBリーグの宇都宮ブレックスでプレーを続けています。日本バスケット界のレジェンドの人気は根強く、チームにとっても精神的な柱です。

はち

田臥選手は司令塔として試合の要所で起用されています。

さいごに

この記事では、日本バスケット界のスーパースターである田臥勇太選手の凄さを紹介しました。高校9冠というとんでもない偉業を成し遂げ、日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥選手は、まさに生ける伝説です。困難なNBA入りを目指して挑戦を続け、成功を勝ち取った田臥選手の決して諦めない力は私たちを勇気づけてくれます。

年齢的にはベテランとなった田臥選手の今後の活躍にも期待です。もし興味があればBリーグの試合をチェックしてみましょう!

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はち
趣味は音楽鑑賞、新聞に掲載されているパズルを解くこと。身近なものから専門的な雑学まで幅広く執筆。