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昭和の常識を紹介!今では考えられないようなトンデモなことも?

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あなたは昭和の出来事や、当時の雰囲気がどのようなものか、イメージがつきますか?この記事では、昭和の雰囲気を感じてもらうために、昭和の常識について紹介します。当時を経験されている方には、懐かしく感じるようなことがあるかもしれません。昭和末~平成の生まれの方には、驚きの事実を知ることになるかもしれません。「昭和はこんな時代だったんだな」と楽しく読んでもらえれば幸いです。

今のシニア世代でしたら、この記事に書いてあることは、全てご存じかと思います。この記事で紹介している昭和の常識について訊いてみると、興味深い思い出話が聞けるかもしれません。是非、コミュニケーションの一環として、昭和の常識を活用してください。

昭和と現在を比べると、日本の近代化が分かる

昭和の常識は、現在では覆されているものがあります。例えば、後ほど紹介する「うさぎ跳び」は部活動で広く普及していましたが、効果がないことがわかり姿を消しました。

また、うさぎ跳びには、苦しいトレーニングを強制して無理やり精神を鍛えるという側面があったのです。そして、厳しすぎる指導は指導ではなく体罰では?という世論の高まりに応え、指導者は高圧的な指導から寄り添った指導に方針を転換しました。これは教育の面での進歩であり、古い慣習を捨てることになった近代化の一例です。

50年ほど前の日本はどんな国だったのか、昭和の常識から見えてきます。「ありえない!」と驚くこともあるかもしれません。

はち

昭和の常識は、現代では通用しないため消え去っているものも多いですね

本当にあった昭和の常識

部活、体育の時間は水を飲んではいけなかった

昭和の学校教育では、現代では否定されている理論に従って教えていたことがあります。その一例が、部活や体育の時間に水を飲ませないというものです。これは「運動中に水を飲んだらバテてしまう」という俗説によるものです。さらに、現代ほど熱中症に対する理解が広まっていなかったため、生徒や学生は、真夏の炎天下で水を飲まずに何時間も運動をしていました。

そこに加えて、コーチなど指導者が「水を飲むな!」と強く指導するのですから、逆らえないですよね。現在は、多くの指導者が練習中に「水分をとれ!」と指導するようになっています。

犬を放し飼いにしている家があった

現在は、野良犬もあまり見なくなりましたが、昭和時代は野良犬を住宅地でも見かけました。それどころか、首輪はつけているのにリードを着けていない犬が走り回っていました。飼い主が、犬を放し飼いにしていたのです。

普段からリードを着けずに放し飼いにしている飼い犬は、野良犬と変わらない危険な存在でした。実際に、子供が犬に噛みつかれる、犬が学校に入ってくるなどの問題が起きていました。そして、徐々に放し飼いをする人の肩身が狭くなり、放し飼いを止めるようになりました。今では放し飼いの犬はほぼ見かけません。

はち

放し飼いの犬にかまれるのは、衛生的にも危険ですね

うさぎ跳びというケガにつながる訓練が行われていた

「うさぎ跳び」という言葉をご存じでしょうか?うさぎ跳びとは、足腰を鍛えるために部活などで行われていたトレーニングの1つです。しゃがんで腰を落とした状態で、ウサギのようにジャンプして前に移動するのがうさぎ跳びです。

およそ昭和40~50年代まで、野球部などでうさぎ跳びは行われていました。しかし、トレーニング効果が無く、ケガをしやすいという事実が明らかになり、衰退していきました。現代ではうさぎ跳びは見かけません。

はち

タイヤを引きずりながらうさぎ跳びをする部活もありました

床を灰皿代わりにしている飲食店があった

昭和は、立ち飲み屋が建ち並ぶ飲み屋街が各駅と言ってよいほど存在していました。立ち飲み屋は、一人で飲む人、グループで飲む人など、サラリーマンを中心に大盛況でした。

立ち飲み屋では、灰皿が用意されていない場合がありました。灰皿の代わりに、灰も吸い殻も床に捨てるという大胆な構造で営業していたのです。現在より喫煙率も高く、たばこは電車でもバスでも吸えた時代です。当時、特に問題になることはありませんでした。

はち

今は防火と受動喫煙防止のため煙草を吸える飲食店は減りましたね

給料が振り込みではなく手渡しだった

現在、会社員など給料をもらっている方の給料は、銀行振り込みが主流です。給料日には、給与明細を貰うか社内Webで明細を確認するだけで、手持ちで現金を受け取ることはありません。しかし、昭和40年代までは、受け取り方が違いました。なんと、明細と一緒に茶封筒に入った現金を受け取っていたのです。

ボーナスも同様に手渡しでした。給料日やボーナス支給日には、大金を持った人が街に大勢いたことになります。昭和40年代に銀行がATMを設置し始めることがきっかけで、給与の振り込みは徐々に進んでいきました。

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給与振り込みは、盗難のリスクもないし、入金に行かなくて済むので助かります

お隣さんに醤油を借りに行く文化があった

現在「ちょっと醤油が足りないから、隣の家の人に貰おう」と思う人はほとんどいないでしょう。昭和の町は、近所の人はお互いをよく知っていて、助け合う関係性ができていました。そのため、醤油は借りることができるし、逆に貸すことも抵抗がなかったのです。損得勘定で行動しているわけではなく、ご近所付き合いの中での助け合いの一環です。

はち

世代が変わっていくにつれて、ご近所付き合いの形も変わっています

さいごに

この記事では、昭和の常識を紹介しました。話のタネになる面白い昭和の常識は見つかりましたか?昭和は、現代ではやってはいけないことを許していることも多いです。しかし、「昭和はおおらかな時代だったんだな」と考えられる部分もあったのではないでしょうか?

発展の途中にあった日本の姿が、この記事を通じて楽しく感じてもらえたなら幸いです。

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はち
趣味は音楽鑑賞、新聞に掲載されているパズルを解くこと。身近なものから専門的な雑学まで幅広く執筆。