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ファイナルファンタジーの名前の由来を解説!社運を賭けた「ファイナル」って本当?

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みなさん「有名なRPGゲーム」と聞いて思い浮かぶものはなんでしょうか?「クロノ・トリガー」「ドラゴンクエスト」「MOTHER」「ファイナルファンタジー」…。一人ひとりさまざまなゲームが思い浮かんだことでしょう。

今回紹介するのは1986年に第1作目がリリースされ現在に至るまで不動の人気を誇る「ファイナルファンタジー」についての雑学です。

みなさんは「ファイナルファンタジーの名前の由来」について知っていますか?

このゲームに「最後」の望みを託したから?

一作目をあえて「最後」と名付けて、ユーザーの印象に残るようにしたかったから?

「ファイナル」という単語からは、さまざまな予想ができそうですね。今回の記事では名前の由来について詳しく解説していきます。

ファイナルファンタジーシリーズについて

ファイナルファンタジーは1987年12月に発売されたファミリーコンピュータ用RPGです。当時カセット容量の関係上、制作が困難だとされていたRPGというゲームジャンルで大ヒットし、累計140万本のセールスを獲得しました。ナンバリングごとに独立した独創的な世界観を映像技術・CGによって表現し、世界中の人々を熱狂させました。

名前の由来は、社運をかけた「ファイナル」なゲームだったから?

当時、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の会社としての業績は悪化しており「社運をかけた最後の作品」となるかもしれないとして「ファイナル」と名付けたのが由来という説がありました。

しかし2015年にファイナルファンタジーの生みの親である坂口博信氏によって否定されています。ではファイナルファンタジーの本当の名前の由来とはなんでしょうか?

ファイナルファンタジーの本当の由来は?

“ファイナルファンタジー”は「略称がFF(エフエフ)となるよう」想定して作られたことが本当の由来です。つまりF(エフ)なら何でもよかったわけです。ちなみに開発当時のタイトル案として「ファイティング・ファンタジー」が候補にあったようですが、同名のテーブルトークRPGが存在したため現在の名称になりました。

また、坂口氏は2015年5月に国内で行われた講演にて「確かに当時は背水の陣だったけれど、Fで始まる単語ならなんでもよかった」との発言をしています。

「ファイナルファンタジーは社運をかけた『ファイナル』なゲームだったという説」に関しては否定されていますが、会社の業績を考えるとある意味「社運のかかった『ファイナル』なゲーム」であったかもしれません。

ファイナルファンタジーはあの有名なRPGから刺激を受けて制作された

ファイナルファンタジーの制作経緯として、1986年に発売され、爆発的ヒットから社会現象を生んだ「ドラゴンクエスト」から刺激を受けたというエピソードがあります。1985年、スクウェアはPCゲーム市場から家庭用ゲーム機市場へと参入しました。

RPGゲームを作るのは困難だった?暗黙のルールと「ドラゴンクエスト」

当時の家庭用ゲーム機といえば任天堂が開発したファミコンを指し、人気を博していました。しかし会社としての業績は振るわないまま、悪化の一途をたどっていきます。そして1986年ついにエニックスより「ドラゴンクエスト」がリリースされました。

「ドラゴンクエスト」は「ファミリーコンピュータ向けRPGの制作は困難である」という当時のゲーム業界の暗黙のルールを打ち破りました。というのもファミコンのカセット容量は少なくRPGというゲームを構成する膨大なテキストや画像を入れることができないという事情があったからです。

そんな事情もある中制作されたドラゴンクエストは、見事そのルールを打ち破り、爆発的ヒットで社会現象を巻き起こしました。この出来事をきっかけに坂口博信氏はRPG「ファイナルファンタジー」を制作することを決めます。

「ファイナルファンタジーシリーズ」の分岐点

製作期間1年で作品は完成し、社内での評判も上々でした。しかしこの頃にはスクウェアは倒産寸前となっておりある意味この作品に社運をかけているような状態でした。

期待と不安の中、1987年に「ファイナルファンタジー」はリリースされ、140万本の売上を記録しました。当時大学生だった坂口氏は業績悪化の影響もあって大学に戻ることを検討していたそうですが、この結果は坂口氏のゲーム制作者としての自信を取り戻すきっかけとなり、ファイナルファンタジーは続いていきます。

天野喜孝とファイナルファンタジーの繋がりは”天野ファン”が作った

天野喜孝氏はキャラクターデザイナーでファイナルファンタジーのキャラクターデザイン・イメージイラストを手掛けていることで有名です。今まで販売されてきたファイナルファンタジーシリーズのタイトルロゴのイラストはすべて天野氏が担当しています。

坂口博信氏が「ファイナルファンタジーという作品の生みの親」ならば、天野喜孝氏は「ファイナルファンタジーの魅力的なキャラクターの生みの親」と言えるでしょう。

天野氏とファイナルファンタジーの出会い

そんな天野氏がファイナルファンタジーと関わるようになったきっかけは、当時の開発スタッフの中の熱烈な”天野ファン”によるものです。当時スタッフは参加交渉に関して「断られるか、保留になるだろう」と想定していたそうですが、天野氏は「面白いからやりましょう」と即答したそうです。

独特なキャラクターの誕生秘話

天野氏のファイナルファンタジー参加後のエピソードとして、当時のゲームでよく使われていた”ドットでキャラクターを作成する手法”に合わせた角張った絵を提出しましたが、スタッフに普通に描いてくださいと頼まれたことで、天野氏らしい独特な絵が提出されるようになったという話があります。

メインテーマは当初メインテーマではなかった!?植松伸夫とファイナルファンタジー

ファイナルファンタジーシリーズの世界観にマッチした特徴的で耳に残る音楽。それらは植松伸夫氏によって生み出されたものです。

ファイナルファンタジーで最初に産声を上げた曲は?

ファイナルファンタジー1作目の作曲に関して植松氏は「ドラゴンクエストの音楽と似たような音楽にならないように」という注文を受けたそうです。そうした経緯もありつつ、最初に生まれた曲がFINAL FANTASYのメインテーマです。この曲は実際にゲームのオープニング映像を見てそこに音楽をつけて制作されたものです。

「メインテーマ」は開発当初、メインテーマではなかった?

制作当初は「オープニング・テーマ」と名付けられていましたが、スタッフ内での評判がよかったこともあり、ファイナルファンタジーの顔である「メインテーマ」となりました。

これに関して植松氏は「メインテーマという意識で作ったのではなくファイナルファンタジー1のオープニング用に作った曲。それがスタッフの中で評判が良く、シリーズを重ねていくうちに『これがメインテーマでもいいのではないか』と判断されたのではないか」と語っています。

まとめ

「ファイナルファンタジー」の本当の名前の由来は「社運をかけた『ファイナル(最後)』なゲームという意味で『ファイナル』ファンタジー」ではなく「略称がFF(エフエフ)」となるように名付けられたものでした。開発元であるスクウェアの当時の業績悪化もあって勘違いをする人も多かったのではないでしょうか。

しかし、状況を鑑みるに「ファイナル」のつもりで送り出したのは間違いではないのかもしれません。そのような決死の思いで作られた作品が今もなお続いているのは素晴らしいことですね。どんな物事にもこういったバックストーリーがあるはずなので、みなさんも調べてみると良いかもしれません。

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