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野球にまつわる雑学!最高延長戦は何回?そして何時間かかったの?

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みなさん野球は好きですか?テレビで見るのも楽しいのですが、現地で野球観戦するのも楽しいですよね。お酒が飲める方は野球を見ながら、ビールを飲む!なんていう過ごし方は最高でしょうね。ところで、みなさんは野球にまつわる雑学を何かご存じでしょうか?

「今までの延長戦でかかった時間」なんて気になりませんか?今日は、野球にまつわる雑学をお伝えしようと思います。延長戦でかかった時間について、ビールかけの始まりなども紹介しています。読めば誰かに話したくなる内容ばかりです!ぜひ、最後まで読んでみてくださいね。

今までの最高延長回数と延長時間は?

基本となるルールでは、試合は9回までとなっています。引き分けだった場合、延長戦になるのですが、現在の日本でのプロ野球では、延長回数が12回までと決められています。さて、過去に行われた試合の最高延長回数と、最高延長時間はどれだけかかったのでしょう?日本のプロ野球だけでなく、海外の試合の最高延長回数、時間もご紹介しています。

マイナーリーグでは?

1981年に行われた、ポータケット・レッドソックス対ロチェスター・レッドウイングスの試合が最高延長試合です。延長回数は33回で延長時間は、8時間25分でした。

みき

8時間も試合を見られるなんて、お得な試合になったことでしょう!

メジャーリーグでは?

メジャーリーグでは、1920年5月1日に行われた、ブルックリン・ドジャース対アトランタ・ブレーブスの試合が最高延長試合です。延長回数は26回、延長時間は3時間50分でした。

みき

時間だけを見ると、そんなに延長している感じはありませんが、延長回数を見ると大変な回数ですよね…。

日本のプロ野球では?

プロ野球では、1992年9月11日に行われた阪神対ヤクルト戦が最高延長試合でした。かかった時間は、6時間26分。試合回数は15回で、3対3の引き分けでした。

みき

1回あたりの試合が長かったパターンですね。結局、引き分けで終わった試合でした。

ビールかけの歴史

優勝した時の毎年恒例イベントであるビールかけ。こちらはいつから、何をきっかけに始まったのでしょう?ビールかけの始まりは、1959年の南海ホークス(今の福岡ソフトバンクホークス)の優勝がきっかけでした。宿舎で行われた祝勝会で、半田選手がビールをかけたことが始まりです。この半田選手はアメリカのハワイ出身の選手でビールかけのモデルとなる「シャンパンファイト」を知っていたのです。

シャンパンファイトとは、表彰台に上がった選手や、優勝した選手、チームにシャンパンをかけ合うイベントです。当時はシャンパンの代わりにビールをかけ合いました。最初にビールをかけられた選手は、ホークスの杉浦選手でした。ちなみにこの時のビールかけに使われたビールは「キリンビール」でした。

また、スポンサーの関係でビールかけが出来なかったチームがいます。1999年と2000年に優勝した福岡ダイエーホークスです。この時はビールではなく、炭酸水をかけて優勝をお祝いしました。ちなみに、この炭酸水は「優勝水」と名付けられていました。

なぜ監督もユニフォームを着ているの?

監督がユニフォームを着ているのは、きっと野球だけなのではないでしょうか?なぜ野球の監督はユニフォームを着ているのでしょう?野球のルールブックには、「監督はユニフォームを着ること」とは記載されていません。選手には「統一されたユニフォームを着なければいけない」とありますが、監督には無いのです。

監督がユニフォームを着ているのは、野球ができた当時の名残があるためです。野球ができた時は監督はおらず、キャプテンが監督の代わりをしていました。キャプテンは試合にも出るため、ユニフォームを着ていました。

今では「監督」という役割をする人がいますが、当時のキャプテンの名残のままユニフォームを着ているのです。ちなみに、メジャーリーグではコニー・マックというユニフォームを着ない監督がいました。この人物は1894年からの3年間、選手兼監督をしていました。

引退後は50年も監督を務めます。「一度も退場処分を受けなかった監督」としても有名で、スーツ姿で監督をしていました。なぜ、コニー・マック監督はユニフォームを着なかったのかと言うと、長身でやせ型だったためユニフォームが似合わなかったとのことです。

トランペットを使った応援はどの球団が始めた?

学生野球やアマチュア野球では、戦前から楽器を使った応援である「鳴り物応援」がされていました。プロ野球では、1950年代に国鉄スワローズ(今のヤクルトスワローズ)の応援団長であった、岡田正泰が太鼓の代わりにフライパンを叩くという応援をしました。戦後しばらくまでは拍手や声援、野次を飛ばすのが応援だったのです。

1975年ごろに広島カープのファンがトランペットを持ち込み、コンバットマーチを演奏したのをきっかけに鳴り物応援が広まります。そして、1978年には広島カープの攻撃、山本浩二の打席で「コージコール」が演奏されるようになります。これが個人の応援歌の始まりでした。

まとめ

野球にまつわる雑学はいかがでしたか?試合の最高延長時間は30時間を超えたというウワサもあるようなのですが、3時間50分が間違って広まったとされています。最高延長回数は33回となっていますが、こんなに試合を見られるのはお得だなぁと思ってしまいました。

また、トランペットなどを使った応援は、プロ野球が先だと思っていた方は多いのではないでしょうか?実は学生野球や、アマチュア野球の鳴り物応援の方が先でした。野球が始まるとわくわくする方も多いですよね。現地でもテレビの前でも、応援して盛り上がりましょう!

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みき
趣味は毎週の競馬と月1の乗馬(外乗)。女性ならではの視点からユニークな雑学を多数執筆。