プロ野球 読売ジャイアンツに所属している大勢投手。2022年に巨人へ加入、その年の開幕戦からクローザーとして活躍しています。1年目の開幕戦から素晴らしい活躍で、セ・リーグの新人賞を受賞しました。そんな大勢投手の高校や大学でのエピソードについて気になる方もいるのではないでしょうか?
また、進学した高校や大学の学歴や野球環境についても調査してきました。そんな今回は「大勢」投手の学歴と学生時代のエピソードについての記事です。
- 学生時代は全て地元で生活していた学歴とは?
- 高校3年生の時にプロ志望届を出していた!
- 指名漏れを経験!その後に進学した大学は?
といった内容をお届けします。この記事を読めば、大勢投手の一面を知ることができます。より分かりやすくまとめましたので、最後まで読んでみてください。
目次
学生時代は全て地元で生活していた!その学歴とは?
大勢投手の小学生から大学までの学歴を紹介します。
2006年 | 多可町立八千代北小学校 入学 軟式野球チーム「八千代少年野球クラブ」 入団 |
2012年 | 多可町立八千代中学校 入学 硬式野球チーム「氷上ボーイズ」 入団 |
2015年 | 兵庫県立西脇工業高校 入学 |
2018年 | 関西国際大学 入学 |
2022年 | 読売ジャイアンツ 入団 |
野球を始めた小学生時代
兵庫県多可町で生まれた大勢投手。生まれ育った町の近隣公立小学校「多可町立八千代北小学校(現在は多可町立八千代小学校)」へ進学しました。そして、進学と同時に野球を始めました。所属チームは「八千代少年野球クラブ」で、軟式野球チームです。
大勢投手は当初、野球ではなく、友人と共にサッカーを始める予定でした。しかし、家族全員熱烈な野球ファン。サッカーと同じグランドで野球練習をしているのを見たお父様は、野球の方へ連れていったとのこと。これが野球を始めるきっかけとなりました。
小学4年生の時には野球の才能が開花し、球の速さはピカイチ、実力も6年生と遜色なかったと当時の監督は話していました。
小学生の頃から光るものがあったこと、そしてそれを当時の監督が覚えていたこと。それは相当、印象深かったのでしょう!
中学生の時は帰宅部だった?
中学校も実家の近隣の公立中学校「多可町立八千代中学校」へ進学。中学の部活動に野球部があったものの、そちらへの所属はせず、帰宅部でした。その理由として、外部チーム「氷上ボーイズ(硬式)」へ所属していたからです。当時はピッチャーではなく、ショートとして活躍していました。
家族全員が通った高校とは?
大勢投手は隣町の公立校「兵庫県立西脇工業高校」へ進学しています。学科は不明のため、偏差値は44~46です。西脇工業高校には父や母、姉そして兄まで、家族5人全員がこちらに通っていました。
お父様とお兄様もこの学校で野球部に所属し、汗を流していました。また、お姉様も陸上で素晴らしい成績を残しています。このことから、大勢投手にも「西脇工業高校で成長してほしい」とお父様から言われ、進学することを決意しました。
高校2年生の時、大勢投手が怒りながら帰宅。「兄と比べられる。立ち姿から考え方まで。自分の野球ができないのは悔しい。」泣きながら積もり積もった怒りをぶつけた大勢投手。切り替えの早さが長所である大勢投手はその後、ケロッとご飯を食べていたとお父様は話しています。
高校3年生の時にプロ志望届を出していた!
高校1年生の夏からレギュラーに抜擢、4番ファーストで試合に出場。高校2年生の夏にはレフトを守り、打率は3割5分7厘と好成績でした。しかし、チームとしては2年連続、県大会で敗退しています。高校2年生の秋から投手のエースとしてチームを牽引。
チームの最終成績としては、県大会ベスト16。甲子園出場の機会は得られませんでした。140km後半を投げる投手としてメディアから注目されていた大勢投手。引退後、プロ志望届を提出。
3球団から調査書が届いたものの、最終的には指名されませんでした。大勢投手はプロ野球選手になると夢を諦められず、大学に進学することを決意しました。
高校生の時に一度プロ志望届を提出していたこと、初めて知った方もいるのではないでしょうか?
指名漏れを経験!その後に進学した大学は?
大勢投手は私立「関西国際大学」へ進学しました。4年制の大学で、人間科学部経営学科(偏差値:35)を専攻。地元兵庫県内の大学でしたが、実家から40km以上・車で1時間かかる距離だった為、寮生活をしていました。
高校時代からの同期で、捕手として大勢投手とバッテリーを組んだ西山さん。当時、大勢投手は弱さを見せずにひたむきに野球に取り組んでいたと話しています。怪我が多かった4年間、それでも練習をサボることなく、取り組み、しんどくても全く顔に出さなかったとも話していました。
また、自分をしっかり持っていて、相手によって態度を変えるなど、全く無かった大勢投手。この姿に西山さんは「人としてとても魅力的な部分」と語っています。
プロ入りするために努力した大学時代のエピソード
高校生の時の体格は180cm・86kg、高校生ながらしっかりした体格でした。ストレート最速148kmを計測。しかし、7回から急激にスピードダウンし、ストライクゾーンに入らなくなるというのが大勢投手の弱みでした。
そこで大学では、フォームとトレーニングの改善を行いました。トレーニングにはパーソナルトレーナーをつけ、怪我をしない先発としての体力づくりを行ったと話しています。その結果、大学4年生時点で181cm・88kg、体重に大きな変化はありませんが、筋肉量が増え別人のような体つきに変貌。
ストレートは最速152kmを計測するほどの変化がありました。大学4年間で大勢投手自身の怪我が重なり、さらにはコロナの影響もあり、試合が中止に。試合登板の機会がなかなか得られませんでした。試合登板を見られたのは一度だけで、ドラフト会議直前の10月に行われた試合。
そこで、大勢投手は「14奪三振2失点で完封」と見事な投球を見せました。その試合での活躍が評価され、巨人からドラフト1位指名されることとなります。
4年間登板の機会がなく、たった一度だけ機会をもらえた登板で結果を残した大勢投手。準備をしてきた4年間を糧に最高の力を発揮することができたのでしょう!
おわりに
今回は巨人 大勢投手の学歴と学生時代のエピソードを紹介しました。プロ1年目からクローザーとして活躍し、新人王を獲得。さらに翌年のWBC日本代表にも選ばれ、順風満帆な印象を受ける大勢投手。
その背景には、高校では指名漏れ。大学では怪我でマウンドに立てないという大きな挫折を味わっていること、初めて知った方も多いと思います。それ故に努力を怠らない、ひたむきな大勢投手をより深く理解できましたね。
2024年オフシーズンは優勝旅行に行かず、山﨑伊織投手と日々練習に打ち込んでいた大勢投手。2025年は怪我で離脱することなく、クローザーの一角として活躍してくれること、期待していきましょう!また、お時間ありましたら、他にも面白い記事がたくさんありますので見てみてくださいね。






