雑学のあしあと
『今すぐ誰かに教えたくなる豆知識』がコンセプトの雑学サイトです。
エンタメ PR

任天堂の社名の由来と歴史をご紹介!もともとは花札屋だった?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

みなさんは任天堂と聞いて何を思い浮かべますか?長年テレビゲームに触れてきた方やゲームに馴染みのない方でも「マリオ」や「老舗のゲーム会社」というイメージは持たれる方もいるかと思います。

今では、ゲーム分野において、世界的なブランドを築き上げた任天堂ですが、もともとはどんな会社だったのか?どんなものを商品にしていたのか?任天堂という社名の由来は?意外と知らない方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

そこで、今回は「任天堂の社名の由来と歴史をご紹介!もともとは花札屋だった?」についてお話したいと思います。任天堂の創業から現在に至るまでの歴史や由来を分かりやすく解説致しますので、ぜひ最後まで読んでみてください。

任天堂の創業は花札を製造する会社だった

任天堂初代店主・山内房治郎が1889年に京都市下京区(五条楽園)にて「任天堂骨牌」を創業し、花札の製造販売を始めます。その後、1902年に国内初のトランプ製造に着手しました。

当時、任天堂を創業する他に「灰孝本店」というセメント販売業を任天堂より4年早く創業しており、2つの事業を柱に事業展開したのが創業経緯になります。その後、1927年に「任天堂骨牌」と「灰孝本店」の事業分離を決定しました。

この時期から娯楽専業のビジネスを担うようになり、1927年に「任天堂骨牌」の2代目店主・山内積良が就任します。1947年には任天堂の前身となる「株式会社丸福」を立ち上げ、製造部門と販売部門を継承しました。

任天堂の社名にはさまざまな由来がある?

任天堂という社名には、いくつかの由来があります。ひとつは「任せて天に司る」という意味で、やれるだけの努力を尽くして後は天に任せるという説です。もうひとつが花札の天狗の「天」と任侠の「任」からとって「任天堂」と名付けられた説があります。

現在でも販売されている花札とトランプ

今では、世界的知名度のゲームメーカーですが、現在でも天狗の花札やスーパーマリオブラザーズが描かれた花札が販売されています。ほかにも星のカービィやゼルダの伝説をイメージしたトランプ、将棋や百人一首など、種類豊富なボードゲームをオンラインで購入することが可能です。

任天堂の沿革

1889年~1940年代

初代店主・山内房次郎が1889年に京都市に「任天堂骨牌」を創業し、花札と国内初のトランプ製造に着手します。創業初期からセメント販売業も続けていたが、山内家の事業継承の際に分離し、娯楽専業の道を歩みました。その後、2代目の山内積良が就任し、1947年に「株式会社丸福(現・任天堂)」を東京で設立します。

ミノワ

1949年に山内積良が急逝し、当時早稲田大学の学生だった山内溥氏(22歳)が後継者として、任天堂の経営を担うことになります。

1950年代~1970年代

京都市内に分散していた製造場を京都市東山区にまとめ、工場を設置し、1953年に国内初のプラスチック製トランプの製造に成功しました。1959年にはディズニーから独占販売権の契約を結び、ディズニーキャラクターを使用したトランプを販売します。

ヒット商品になることで、トランプの国内市場80%のシェアを獲得した後に株式上場しました。その後、経営の多角化により加工食品事業に参入するものの、後に撤退します。この頃になるとトランプ需要も低迷し、テレビゲーム・アーケードゲームに本格参入しました。

ミノワ

当時、おもちゃを大量に開発したものの、一過性のブームに翻弄され、過剰在庫で経営危機に陥ったそうです。

1980年代~2000年代

業務用テレビゲーム機「ドンキーコング」や、携帯型ゲーム機「ゲームウォッチ」の大ヒットが続く中、1983年に据え置き型ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売します。累計販売台数6191万台を記録する大ヒット商品となり、社会現象となりました。

任天堂の看板作品となる「スーパーマリオブラザーズ」の登場により、世界的な知名度を得ます。その後も携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売し、ファミリーコンピュータの後継機となる「スーパーファミコン」や、初の3D対応ゲーム機「ニンテンドー64」など、日本を代表するゲーム会社として、確固たる地位に就きました。

ミノワ

2002年に山内溥氏が高齢のため、社長を退任します。後任に岩田聡氏を指名し、3代に続いた同族経営が終了しました。

2010年代~現在

2000年代後半から任天堂は「家族で楽しめる」という方針で開発された家庭用テレビゲーム機「Wii」が大ヒットしたことにより、普段ゲームをしないファミリー層にも受け入れられるようになります。また、インターネットの普及により、オンラインサービスの拡充が目立つようになりました。

自社のキャラクターIPを積極的に活用する動きもあり、2021年にユニバーサルスタジオジャパンで「スーパーニンテンドーワールド」という任天堂の作品群を題材にしたテーマパークをオープンします。また、2023年には任天堂とイルミネーションの共同制作作品「スーパーマリオブラザーズムービー」が上映されました。

ミノワ

2015年に岩田聡氏がガンにより逝去。しばらくの間、社長が不在でしたが、2018年に古川俊太郎氏が社長に就任します。

まとめ

以上、「任天堂の社名の由来と歴史をご紹介!もともとは花札屋だった?」についてお話しました。実のところ、社名の真の由来については、創業一族の山内溥氏さえも生涯全く知らなかったそうです。現社長・古川俊太郎氏の解釈としては、先述した「やれるだけの努力を尽くして後は天に任せる」という説を支持しています。

そんな任天堂は、今年で創業135周年を迎えており、創業から続く花札製造は現代でも続けています。ゲーム分野では、2017年に発売した「Nintendo Switch」が2024年3月時点で世界累計出荷台数1億4132万台を売上、今年度内には次世代機の発表を行うと公式から述べられました。世界中の注目を集める任天堂の活躍に今後も期待できますね。

ABOUT ME
アバター画像
ミノワ
趣味はマンガ・アニメ・ゲームや映画鑑賞、友人との登山や小旅行。大の猫好き。日本文化やサブカルチャー、猫に関する情報などを幅広くお届けします。