ルーキーイヤーである2024年は、一軍出場66試合することができた巨人・泉口友汰選手。しかし、年間で2軍へ降格は2回35日間、目標の一軍定着とまではいけませんでしたが、長期間の1軍帯同することができました。
そんな泉口友汰選手は高校生からプロ野球選手になるまで、野球の名門で鍛錬を重ねてきたことご存知でしょうか?今回は「泉口友汰」選手の経歴についての記事です。
- 監督に最弱と言われたけど甲子園出場した高校時代
- 真面目さを買われ主将を任された大学時代
- 泉口友汰の同級生は華やかすぎる?
といった内容をお届けします。この記事を読めば、巨人 泉口友汰選手の一面を知ることができます。より分かりやすくまとめましたので、最後まで読んでみてください。
泉口友汰の野球名門校ばかりの経歴
泉口友汰選手の経歴を年表で紹介します。
1999年 | 誕生 |
2006年 | 卒園と同時に「野口少年野球クラブ」に加入 中学校卒業までの9年間所属 |
2015年 | 大阪桐蔭高等学校 入学 |
2018年 | 青山学院大学 入学 |
2022年 | NTT西日本 入社 |
2024年 | 読売ジャイアンツ 入団 |
高校・大学・社会人時代それぞれ「野球の名門」で鍛錬してきた泉口友汰選手。巨人・水野スカウト部長を選んだ理由として次のことを話していました。
「大阪桐蔭→青学→NTT西日本でずっとショートのレギュラー。それは誰もができることじゃない。それだけで十分評価できる。さらに打撃も力があり、堅実な性格も持っている。ジャイアンツの主力になれる力がある。」
ちなみに泉口友汰選手は巨人へ入団する前、同僚や友人に「プロに行きたいとは思わない。結果が出なければ数年でクビになる。それだったら社会人で長く野球がしたい。」と口にしていました。なぜかと言うと、自分自身がプロに通用する実力がなく、選ばれるはずがないと思っていたからです。
そのため、ドラフト会議当日もNTTの寮で静かに過ごしていた泉口友汰選手。本社の方には指名はないので、待機しなくて良いと伝えました。中継を見ずに過ごしていた泉口友汰選手。友人や同僚から連絡が止まらず、一瞬でLINEの通知が300件を超えたのだとか。何事だと確認し、指名されたことを知ったとのこと。
急いでスーツを着て、事務所に駆け込むこととなりました。そんな慌ただしい一日を迎えた泉口友汰選手の、高校・大学・社会人時代それぞれを詳しく解説していきます。
監督に最弱と言われたけど甲子園出場した高校時代
あの「史上初となる2度目の甲子園春夏連覇を達成した最強世代」と聞けば分かる方もいるのではないでしょうか?その世代を一学年下に持つ泉口友汰選手。監督からは過去最弱のチームとも言われた代でした。
選手たちもチームの弱さに不安を覚えていたことをよく覚えているとのこと。しかし、西谷浩一監督が生徒一人ひとりとしっかり向き合ってくれる指導方針で、チームを成長させてくれたのだとか。その結果、後輩を含めチームが一つとなり、3年生の春・甲子園優勝という素晴らしい結果を残すことができました。
しかし、泉口友汰選手の中では後輩の「最強世代」のような選手がプロ野球に行ける。したがって、自身にはまだそんな実力がないと判断し、大学で実力をつけることを選ぶこととなります。
真面目さを買われ主将を任された大学時代
関東の六大学野球にて自分の実力を試したいと青山学院大学へ進学した泉口友汰選手。プロ野球選手を数多く輩出している名門校ですが、入学当時は2部リーグでした。その状況で2021年・3年生だった泉口友汰選手は、監督に指名され主将を担うことに。
負けないチームづくり・1部リーグ(明治神宮球場)でプレーすることを目標に掲げ、チームみんなで練習を重ねていきました。努力の結果、その年の試合で見事優勝、1部昇格が決まりました。それは2014年以来7年ぶりの昇格。
泉口友汰選手個人としては堅実な遊撃手としてリーグ内の最高殊勲選手に選ばれています。このことからも泉口友汰選手が昇格に大きく貢献したことが伺えますね。
大手での社会人時代
大学4年間での練習でもまだプロで通用する実力がないと自身で判断。社会人野球へ進むことを決意。走攻守すべての力を2年で底上げし、2年後にプロ志望を出すと心の中で誓ったとのこと。入社1年目である2022年、実力を買われWBC U-23日本代表に遊撃手として選出されました。しかし、コンディション不良で辞退しています。
翌年の活躍も芳しくないものだったと泉口友汰選手は話しています。それでも着実な実力をつけてきた泉口友汰選手はプロ志望を提出。その結果、2023年ドラフト会議にて巨人から4位指名を受けました。
名門校で着実に実力をつけていった泉口友汰選手。「プロになるためには」とひたすら考え、堅実に将来設計をしていた背景が理解できましたね!
泉口友汰の同級生は華やかすぎる?
大阪桐蔭高等学校での後輩に複数球団からドラフト1位指名受けた人物が2名いるなど、とても話題になりました。年代で分けて紹介していきます。
- 徳山壮磨 (DeNA・2021年ドラフト2位)
華々しいメンバーをみて胸踊る方も多いのではないでしょうか?泉口友汰選手が、同級生のような華々しい活躍をしてくれること、期待しましょう!
おわりに
今回は巨人 泉口友汰選手の経歴と、華やかな同級生・後輩について紹介しました。野球の名門に居続け、ずっとレギュラーでチームを引っ張ってきた泉口友汰選手。それはプロ野球選手になるために実力をつけるために考えたがゆえであることが理解できましたね。
そんな泉口友汰選手は2024年、初めてのシーズンオフでは、自主トレも積極的に行っていました。阿部慎之助監督からは「毎日怯えながら過ごすといい。そうすると自分を奮い立たせることができる」と言われ、練習しないと不安になると話していました。
たくさんの練習を重ね、2025年はレギュラーを勝ち取り活躍してくれることを期待しましょう。また、お時間ありましたら、他にも面白い記事がたくさんありますので見てみてくださいね。



