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シャネルの由来、歴史について。ココ・シャネルの「ココ」は名前ではなくあだ名だった!

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憧れのハイブランド、シャネル。特に女性の方は、憧れのブランドなのではないでしょうか?男性でもシャネルの香水を使っている方も多いと思います。女性なら一度はマトラッセのチェーンバッグを持ってみたいと、思ったことはありませんか?

私もバッグは欲しいのですが、手が届かず…。でも、化粧品や香水ならなんとか買える…とシャネルの化粧品や香水をたまにですが買っています。

シャネルの化粧品や香水は、持っているだけで、使っているだけで、テンションを上げてくれます。こういう自分のテンションを上げてくれるものって、毎日の生活の中で大事ですよね。今日は女性の憧れ、シャネルについてお話しようと思います。

シャネルの名前の由来

「シャネル」はガブリエル・ボヌール・シャネルという、創業者である女性の名前からとったブランド名です。「ココ・シャネル」とも呼ばれていますが、「ココ」は愛称で、本名ではありません。なぜ「ココ」と呼ばれていたのかには2つの説があります。

1つ目は、副業だった歌手活動で「Ko Ko Ri Ko(コケコッコー)」、「Qui qu’a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのは誰)」という歌を歌っていました。この曲名から「ココ」と呼ばれていた説。2つ目は、子供のころから父親に呼ばれていた説です。

みき

あだ名がココってかわいい!

ココ・シャネルは歌手を目指していた

ココ・シャネルは、本当は歌手を目指していました。18歳の時に、パリで流行っていたカフェでコンサートをする、「カフェ・コンサール」の歌手になりたいと夢見ます本業はお針子(おはりこ)という、仕立て屋に雇われて、衣服を縫う仕事をしていました。カフェ・コンサールでは、面接を受けて2曲歌えることになります。

それが「ココ・シャネルの名前の由来」にも出てきた曲です。ここでは歌う場は設けてもらえましたが、給料は出ずテーブルを回って、チップをもらっていました。他にもキャバレーで歌っていることもありました。何度も歌手のオーディションを受けますが、なかなか受かりませんでした。

みき

歌手生活がうまくいっていたら、シャネルはなかったかもしれません。

シャネルの生い立ち

シャネルは1883年8月19日に、フランス南西部のオーヴェルニュにあるソミュールという土地で産まれました。父は貧しい露天商で、母は体が弱かったと言います。父は夢を追いかけて、地方に行ってしまいなかなか家に帰ってきませんでした。また父は女性関係にも、だらしなかったと言います。

シャネルは5人姉弟で、母はシャネルが12歳になる年に亡くなってしまいます。父の代わりに母は、5人の子供を育てるため、働き詰めだったのです。父親は残された5人の子供を、養子に出したり、孤児院に預けたりしてしまいます

18歳からのシャネル

シャネルは18歳まで、オーバジーヌという孤児院で育ちます。この孤児院では、将来の仕事に困らないよう、裁縫を教わっていました。18歳で孤児院を出た後は、お針子として仕事をしていました。

また、容姿に恵まれていたこともあり、芸能活動にも興味を持っていました。お針子をしながら、キャバレーなどで歌手活動をしていることもありました。何度も歌手活動を夢見ますが、オーディションでは落選が続き、夢を諦めます

みき

シャネルができる前には芸能人になりたかったのですね。

シャネルの帽子づくり

歌手活動を諦めたシャネルは、裕福な将校のエティエンヌ・バルサンの愛人になり、バルサンのもとで暮らすようになります。家で退屈だったシャネルは、暇つぶしに帽子を作ります。この帽子のデザインが認められて、バルサンの援助を受けながら、1909年に帽子のアトリエ「シャネル・モード」をオープンします。

当時のシャネルが作る帽子は、余計な装飾を取って、とてもシンプルなものでした。これが斬新だと評価を受け、ファッションに興味のある若い女性を中心に評判になります。

みき

シャネルの感性は間違っていなかった!

自立した女性

帽子作りのアトリエが成功し、シャネルは誰かと結婚をせず、自立した女性を目指すようになります。シャネルは、デザイナーとしての成功を夢見るようになったのです。

そして、シャネルは店舗の拡大をしたいと思うようになるのですが、バルサンはそれをあまり良く思いませんでした。そしてバルサンとシャネルは、約3年間の交際をしたのち、別れることを選びます。

みき

バルサンのセンスも良かったのでしょう!

アーサー・カペルとの出会い

バルサンの友人でもあった、イギリス人の青年実業家アーサー・カペル。カペルは「シャネル・モード」の出資者でもあり、恋人でもありました。カペルが結婚した後も、シャネルは交際を続けていました。

ですが、1919年にカペルは事故死してしまいます。シャネルは容姿に恵まれ、計算高さも持ち合わせていました。多くの男性がスポンサーとなり、人脈を広げてシャネルというブランドは大きくなりました。

みき

シャネルに会いに行く途中の事故で亡くなってしまいます。

シャネルのコンセプト

  • 女性の服の解放
  • 古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像

これまで当たり前だった、窮屈なコルセットを付けるドレスから、動きやすいドレスを作り、ジャージー素材を使用しました。さらにドレスやスカートからパンツスタイルに変えるなど、ファッションの時代を変えてきました。シャネルのコンセプトは100年以上経った今も、受け継がれています。

みき

足首が隠れる丈のドレスが主流でしたが、シャネルが時代を変えました。

100年以上歴史のある香水No.5

英語で「ナンバーファイブ」と呼ばれているシャネル初の香水。フランスでは「ニューメロ・サンク」と呼ばれています。1921年に販売されたので、なんと100年以上前から存在しています。「世界で1番有名な香水」とも言われています

当初、シャネルは「私は誰にも真似のできない、他の何にも似ていない香りを創りたい。女性そのものを感じさせる、女性のための香りを」と調香師のエルネスト・ボーにお願いしました。

ボーは、出来上がった試作のガラスの小瓶に1〜5番、20〜24番の番号を振って並べました。並べられたサンプルの中から5番を選んだことから、「No.5」と呼ばれている説があります。

他には5はシャネルにとってラッキーナンバーだった、彼女が獅子座生まれだったため5番目の星座である5を選んだ説があります。この香水を付けていたことで有名な人は、何と言っても「マリリン・モンロー」ですよね。

この香水は、80種類のフラワーエッセンスから抽出した花束のような香りで、付ける人によって香りが変わるミステリアスな香りとも言われています。

みき

私とは相性が悪いようで、授業参観のお母さんの香りになってしまいます…

最後に

ハイブランドであるシャネルの歴史は面白いですね。今の様にブランドが大きくなったのは、シャネルの魅力や考え方に魅せられた男性たちとの出会いでした。パトロンやスポンサーがいて、恋多き女性だったのですね。

時代に逆らったデザインは、周りの人々を驚かせました。これからも、シャネルのコレクションは、たくさんの人達を驚かせるデザインを取り入れるのでしょう!

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みき
趣味は毎週の競馬と月1の乗馬(外乗)。女性ならではの視点からユニークな雑学を多数執筆。