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統合失調症入院体験記~筆者の回復までの道のり~

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こんにちは!福祉コラム担当もち猫です!今回のテーマは

統合失調症当事者もち猫入院体験記」!

もち猫は統合失調症当事者です。17歳の時に統合失調症を発症しました。そして、入院治療を経験しています。半年の入院を経て、10年以上たった今、ようやく就労継続支援A型事業所で働くことが出来るまでに回復しました。

今は服薬治療とカウンセリングを受けながら、就労継続支援A型事業所でコラムを書くなどの仕事をしています。それまでの道のりは長かったです。

不眠や幻聴、妄想に悩まされる日々自傷行為をしたり、夜中に家を飛び出したこともありました。

しかし、病院の看護師さんやドクター、もちろん家族の助けもありここまで回復することが出来ました。そんなもち猫の入院体験記を綴っていこうと思います。

■きっかけはいじめ?~こころの闇が広がるとき~

発症したのは17歳と書きましたが、症状が出始めたのは中学校くらいからでした。

原因はいじめ

学校に行くと悪口を言われ、邪魔者扱いされ、無視される。そんなことが続いたので、私は不登校という道を選びました。

学校にさえ行かなければ嫌な思いをすることもない

そう思っていたのですが、教育熱心な親は毎日「学校に行け」「怠けるな」と私を叱責しました。そんなことが続いているうちに、学校に行けない情けなさや叱責してくる親が怖くなり、夜も眠れなくなりました。この時に初めて心療内科を受診したのですが、結果は「特に異状なし」。

病名すらつきませんでした。

しかし鬱を軽減する薬などは処方してもらったので、それを飲みながら不登校生活を続けていました。それから相談室には登校できたのですが、クラスには戻れませんでした。

★高校には進学するものの……。★
何とか両親の希望していた高校には進学できました。しかし、行けたのはたったの1週間だけ。あとは保健室登校を続けていましたが、1年で中退することになります

この頃から、統合失調症の症状が現れていたのだと思います。クラスメイトの声で悪口が聴こえたり(幻聴)、意欲がない為一日中部屋にこもったり、眠れない日々も続いていました。また、リスカをするようにまでなっていました。

この頃のリスカが一番ひどかったと思います。「学校に行く」という‶普通〟のことができないこと「家族に迷惑をかけている」という罪悪感から、自傷行為に走っていました。そんな私を見かねて、両親が別の精神を受診させると、統合失調症という病名が付き、入院することになりました。

■閉鎖病棟での生活~看護師さんと病棟仲間~

自傷行為などの行為があったので、私は閉鎖病棟に入院になりました。しかしそこに入院していたのは私から見ると‶ちょっと調子は悪いけどごく普通の人

特別変な行動をする人もなく、本当に‶ごく普通の人〟

最初は「怖い人はいないかな……」などと思っていたのですがそんな気持ちはすぐになくなりました。

★閉鎖病棟で決まっていたこと★
閉鎖病棟では、食事の時間、服薬の時間、消灯時間が決まっているだけで、あとは病棟の外に出られない以外自由に過ごせました。

お風呂は入る希望がある人は先着順に名前を書いていき、順番になると看護師さんが部屋まで呼びに来てくれました。また、売店に行きたい人は決まった日の決まった時間にナースステーション前に集まり、看護師さん付き添いの下病院にある売店でお菓子など好きなものを買う、という流れでした。

不便だったのは、携帯電話が自由に使えなかったことでしょうか。携帯電話はナースステーションに預け、必要な時に申し出て看護師さんの前で使用する、という決まりがありました。

★閉鎖病棟での生活★

私の部屋は個室だったので、静かで療養するのにはとてもいい環境でした。前述の様な決まりがある以外は自由に過ごせるので、読書をしたり、音楽を聴いて療養していました。

何か心配事があると、看護師さんやPSW(精神保健福祉士)さんが話を聞いてくださったので、独りで悩みを抱え込むこともありませんでした。

また、他の患者さんと一緒に作業療法に取り組んだりして、段々心は平穏を取り戻していきました。

作業療法では、その月のカレンダーの塗り絵をしたり、コラージュと呼ばれる「自分の気に入った切り抜きを紙に貼る」というような作業に取り組みました。

コラージュが完成すると‶どのような気持ちでそれを作ったのか〟などを仲間内で発表し合い、皆で感想を言い合う、というものでした。

作業療法の他にも音楽療法やみんなでスポーツをする機会もあり、そこでは学校のように仲間外れにされる事もなく、一人でいると職員さんが声かけをしてくださったので、孤独感を感じることはありませんでした。

■入院生活と周りの献身的な支え

しかし、幻聴や不眠はすぐにはよくなりませんでした。特に不眠はほとん改善しませんでした。

眠れなかった時用の頓服を上限回数もらっても眠れず、夜はベッドの上でボーッとして朝を待っていました。眠れない私は一晩中看護師さんに話を聴いてもらったり、側についていてもらったりと、とても迷惑をかけてしまったと思っています。

感謝してもしきれません。いつも不安に寄り添ってくれた看護師さんにもう一度「ありがとう」と言いたいくらいです。

★毒親だった家族が変わってくれた★

家族の支えも大きかったです。閉鎖病棟では携帯は自由には使えない(必要に応じて看護師さんに申請します)のですが、公衆電話が設置してありました。

そこで毎晩家に電話を入れていました。また、母親は片道30分はかかる道を毎日車で病院まで見舞いに来てくれました。母親と一緒に病棟の外(病院内のみですが)を回って歩いたり、売店で好きなものを買ってもらったりしました。

母親は無理やり学校に行かせたことを後悔していたようで、何度も私に「ごめんね」と言ってくれたのを覚えています。

父も仕事の合間をぬって面会に来てくれて、リスカで傷だらけになった左腕に一生懸命薬を塗ってくれました。傷跡が残らない様にと。

こんなに私の事を大切にしてくれた

と思ったのはこの時が初めてのように思います。

月日が経つにつれ症状は徐々に落ち着き、外出がOKになると家に帰ってペットとたわむれたり、時には家族みんなで食事をしに出かけたりして、単調な入院生活にもだんだん変化が起きてきました。

外出が許されると、次は外泊の段階です。1泊2日から2泊3日という風に段階的に家に帰る期間が延びていきます。もち猫も段階を踏んで家や病院外の世界にも慣れていき、ドクターが「症状が安定した」と判断したため、退院に至りました。

退院してからは、社会に出る第一歩としてデイケアに通う人が多いのですが、私は集団が苦手ということでドクターはデイケアは勧めませんでした。そこで私は退院してすぐ家に戻り、元の生活が送れるように徐々に体を慣らしていきました。

入院生活が半年にも及んだため、なんだか自分の家なのに他人の家のように感じましたが、家族の支えもあったため色々な困難も乗り越えることができ、今に至ります。

これがもち猫の入院体験記です。かいつまんでしか書きませんでしたが、半年間の入院期間は看護師さんや家族の温かい関わりに支えられました。また、様々な年代の人や違う障害の人とも関わる機会となったため、貴重な体験だったと思います。

著者 もち猫
福祉系の大学卒業と同時に社会福祉士、精神保健福祉士資格取得。統合失調症。自分の体験談なども織り交ぜながら、主に福祉系のコラムの執筆を担当。

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もち猫
福祉系の大学卒業と同時に社会福祉士、精神保健福祉士資格取得。統合失調症。自分の体験談なども織り交ぜながら、主に福祉系のコラムの執筆を担当。